道志村キャンプ場女児行方不明にはただただ心痛めます。残念ながら解明の方向が見えないためかニュースとしても徐々に目立たなくなってきてしまいました。
捜索が進むにつれ、余りにも手がかりがないため事件性にシフトしているのも理解ができるところです。
キャンプ場に防犯カメラ設置条例?
その事件性に関してある専門家によると、このようなことを未然防止するには今後のキャンプ場の指針として死角となる場所にカメラの設置を促す条例の制定が必要だろう、と促しています。
これは非常に難しい課題といえます。
犯罪防止対策、それをするしないは時代の空気感やテクノロジーの発達とともに常に流動的で、例えば以前はなじみのなかった家庭における警備サービスは、現在はもう特段の違和感がないものとなって広がっています。
キャンプ場にもそのような時代が来るのでしょうか。
キャンプ場は本当に自由な場所か
「キャンプ場は束縛されず全てが自由であれ」
そういう価値観は時代に関係なくある種の勘違いだと私個人は常に思っています。
共同生活をする場所、明確に自分の管理下にない場所に一時的に居住するには、その場所に定められたルールがあり、マナーとモラルにおける行動規範が必ずあるからです。
同時に、管理する側の皆さんは「出来うる限り」束縛をさせないようにしたいのがキャンプ場としての価値提供、そう思われているはずです。
これを先の犯罪・事故抑止という観点に当てはめていくのが実に難しい。つまり、自由度の高い場所提供と、場内監視強化や外界非接触は相反する課題だからです。
とはいえ、時代は変わり前述で挙げた警備サービス等をキャンプ場に適用していく監視体制強化の流れになっていく可能性は少なくないかもしれません。
もしそうなったとして当然それらはコストとなり、またさらに違う課題にもなってくるわけですが。
懸念される家族でのキャンプ自粛
私が現在懸念しているのは、当該キャンプ場の営業停止状態、また道志村一帯のキャンプ場への影響です。
行方不明が未解決のまま、近隣でキャンプをしづらいという気持ちは至極理解できます。さまざまな意味合いで。
併せて、このこと以降子供を連れたキャンプそのもの自体が不安となり、道志村に限らず今現在キャンプそのものを躊躇されている方々もあるやもしれません。
キャンプがたまらなく好きだというコアな方々はそれらの躊躇いも、もしかしたらあまりないかもしれませんが、実はキャンプブームに触発された今年始めたビギナークラスの方々、この秋からキャンプをしようと考えているプレビギナーには多大な心理的影響を及ぼしている可能性があります。
安全と安心のため「まず場内散歩」という提案
私は以前、キャンプ場における行方不明事件があった際、自らのブログへこのように記しました。
「ニュース等でご覧になられた方も多いかと思いますが、某キャンプ場で行方不明だった2歳児のお子さんが無事発見されました。怪我や衰弱も無く比較的元気だったそうです。本当によかったですね。
このキャンプ場、サイトとしてはちゃんと切り開かれていて決して危険が隣り合わせという印象は少なく、管理体制も充分に標準以上のものと思えます。
しかしそれであってもちょっとしたことで大事になり兼ねないということだけは改めて認識しないといけませんね。危険はキャンプ場であろうと都会であろうその確率が大きくは違わないとは思いますが、キャンプという心を休める目的のところゆえ気持ちがどこか緩んでしまうと言うことがあるかもしれません。
特にお子さんは自分がどういうところにいるのかという判断が分かりづらいことが多いと思いますので、やはり大人の目の届く範囲での行動を励行しなければなりません」
心を休め、緊張感を解きほぐせる場所であるキャンプ場。それゆえに気が緩む瞬間がどうしても多くおとずれます。
しかし、気を少し緩めてもいいのは、自分たち家族の安全であり安心環境が確保できたのちにすること、それだけは最低限心得ておかねばなりません。
お子さんは知らない場所へ来ると、その高揚感から普段以上に活発になることがあります。特にキャンプ場到着後、サイト設営の時間は要注意です。どうしたってすぐにあちこちへ行きたくなります。
そこで提案。
キャンプ場に到着し、そしてサイトへ到着したら、家族みんなでまずはキャンプ場内をゆっくり散策してみましょう。
一つには地理感掴むことに役立ちますし(サニタリーなどの位置関係を掴むのも重要)、ある程度の危険区域が全員で認識できます。
もちろんそういう義務感だけが優先ということだけではなく、今日以降お世話になるいわば自分のフィールドを一度じっくり鑑賞する目的であれば、この先のキャンプ自体の楽しみがさらに増すというものです。
それからゆっくり設営に入りませんか。
そして家族でよく分担して設営しませんか。全員参加で。じゃまだから「どこかで遊んできなさい」ではなく。
急がないキャンプ、そして安全はキャンパーとキャンプ場の相互協調で
多くのみなさんはキャンプを急ぎすぎます。
だから気の張る時間(設営や料理)と、気の緩むのんびり時間との落差ができやすいのです。
スタートに余裕を持ち、急ぎグセをいったん忘れる。そしてその後、薄く長く平均化された緊張の切れにくい体制を自然に整える。表立って意識はしないが、ここは普段の生活とはちょっと違う環境なんだと少しだけ心の中に刻んでおく。
これは私自身、子供たちと何年もキャンプをしつつ、さまざまな経験をと軌道修正をかけながら理解をしていった一つの結論です。
この先、受動的な監視が当たり前になってしまうよりも、ある程度の自由度を確保してもらっているキャンプ場で、自らの管理と意識下で安全、安心を能動的に確保していく、それがキャンプ場における本当の自由を保つために必要なものではないでしょうか。
キャンプは、完全放置の野営ではなく、キャンパーとキャンプ場の相互協調があり成り立っているものなのですから。