全国の緊急事態宣言が解け、キャンプ場の再開も始まっています。日常に「ニューノーマル」とも言われる新しい生活様式が適用されていくと同様、アウトドア、キャンプにも新たな様式が展開されています。
それらは過去のキャンプの課題であった「モラル」「マナー」に大きく関わってきます。
アフターコロナの今だからこそそれらを改めて問い直すいい機会と捉えここに前編・後編の2回に分けて考察をしてみたいと思います。
今回はその後編です。
キャンプの「密」というものをもう一度考えてみよう
さて、新しい生活様式では「3密を避ける」が常識となりましたが、それとは別に、この際ですから私たちのキャンプ自体に気が付いていなかった「密」があったのではないか、これも見直すいい機会にしてみましょう。
例えば、過密日程。
いかにも無理な日程を組んでいなかったでしょうか。
これはよくあることで、家族の中で盛り上がってしまっている者のキャンプへの強い思いが過密日程を引き起こし、実はそれほどでもない者との感覚のズレを生じてしまっているということがよくあります。案外気が付きにくいものなので注意しなければなりません。
キャンプは回数を競うものではなく、1回1回をどれだけ大切な時間にできるかのほうに価値があります。お互いの意思疎通を意識して、緩やかで無理がないキャンプをしたいですね。
そして過密サイト。
そもそも雄大な自然を満喫しに来ていたはずなのに、自らのサイトは真逆ともいえる過密キャンプ道具サイトを作ってしまっていることがあります。
確かにキャンプ道具は魅力的であり、それを多数使ったり、多数広げることが意味はないとは思いません。
個性的で素敵なキャンプサイトを構築することは心躍ります。
しかし今一度、それが必要以上に過密になっていいないだろうか、そのことによって貴重な時間というものをスポイルしていないだろうか、この機会に一度見直してみてください。
最後の密は「気持ちの密」。
1回1回のキャンプに脚本通りの成功体験だけを求めていませんか。何が何でも13時ピッタリのチェックイン、なにがなんでもいきなり設営、なにがなんでもレシピ通りの料理、なにがなんでもイベント参加、なにがなんでも夜は焚き火。
事故をおこすようなことはいけませんが、多少のハプニングや計算違い、多少スケジュールが狂っても、それが許されてしまうのがアウトドアのいいところ。むしろそのハプニングが強い思い出と印象を残してくれたりします。
以前、アウトドア界の大先輩にダッチオーブン料理の極意を聞いた時「たとえ黒焦げになってしまっても2割食べれたら大成功。そう思えばいいじゃないか。うまくいかないことに寛容にならないとアウトドアを心から楽しめない」と言われたことを今でも忘れません。
普段がキッチリの生活を余儀なくされているのだから、野外ではそれこそ「野放図」であることはある種の特権です。気持ちの密を穏やかにして、泥だらけの靴や、焚き火で空いたチェアの穴にさえ「それでいいじゃないか」という心の余裕を持ちたいものです。
コロナ対策のみならず、これからも「美しいキャンプ」を心がけたい
「モラル、マナー、エチケット」これはコロナだから降って湧いたものではなく、過熱するキャンプブームとともにすでに大きな問題提起の対象ともなっていました。このLANTERNにおいてもそのことについて何度か取り上げています。
キャンプはとてもシンプルです。野外において最もシンプルな日常を作っている、そういってもいいかもしれません。その時の支えになっているものはなんでしょう。
家族や友人との団欒、それもあるでしょう。安全確保、これもとても大事なことです。そして、自然に親しむひと時であること、これがなければキャンプとは言えません。
しかしそれらを成り立たせているとても大切なもの、それが「道徳心」です。
家族の絆も、安全の確保も、自然に親しむことも、道徳に反した途端その意味が放棄されてしまいます。あの無防備な姿の共同生活で、犯罪や事件の発生が極めて少ないのはなぜか。それが私たち日本人の持つ道徳心のなせる業です。
たまにはそれを間違えることもあるでしょう。しかし間違えてしまったから終わりではなく、気を取り直して再びその方向を向けばいいだけです。私自身も反省すること多々あります。
新型コロナウイルス禍での自粛で見せた、世界に誇ることができる、他者を思いやる道徳心とリテラシーの高さ。
キャンプにおいても「世界一の道徳心で表現する、世界一美しいキャンプ」を、この先もみんなで世界中に発信していきませんか。