「釣りに行こう」
うちの社長が突然、会議中にそんなことを言いだしました。まるで、釣りバカ日誌のような展開だけど、これは本当に起こった話。
新入社員としてアメリカの剥製工房に入社して4ヶ月目。やっと職場に慣れてきた頃にやってきた社員旅行の案内でした。社長は大の釣り好きで、春は渓流でフライフィッシングをするのが趣味とのこと。
「納期が詰まっているから1泊2日で行こう」
社長の鶴の一声で、キャンプと釣りの社員旅行が決定しました。
弾丸日程で向かうはワイオミング州北部のフリーモントキャニオン。大きなニジマスが釣れる事で有名な場所です。「50cm超えのニジマスが釣れるんだ。全員、一匹は釣れる。必ずな」社長は興奮しながら、そう断言しました。
しかし、私は今までフライフィッシングはおろか、一度も釣りをしたことがありません。そんな私のために、職場の裏庭でフライフィッシング講習会を開き、竿のさばき方を教える社長。勤務時間中に…。
良い職場に恵まれたと思う反面、「こんなに熱く教えてもらって、もし釣れなかったらどうしよう」。そんな不安を胸に抱えながら、私は社員旅行の日を迎えました。
ワイオミング州の恐竜の化石
職場があるコロラド州北部のフォートコリンズから、フリーモントキャニオンへと北上する道すがら立ち寄ったのは、Dinosaur Graveyard(ダイナソー グレイヴヤード)。
ここは昔、恐竜の化石がたくさん出土した事で知られる場所。道路脇に建てられたこの小さな博物館の壁はなんと、当時出土した恐竜の化石で造られているそう。
そんな歴史的な博物館ですが、近隣の町の過疎化とともに閉館してしまい、今は裏の酪農施設とともに廃墟となっています。
少し探索してみると、牛小屋の隅に山羊の骨を発見。もこもこの毛を周囲に残し、足の関節も全て綺麗に並んでいます。
続いて発見したのは、おそらくコヨーテとみられる中型動物のミイラ。
ワイオミング州の冬場は、豪雪と寒さで生き物が暮らすには厳しい場所。きっとこの動物も死後、厳しい寒さの中で他の動物に発見されることもなく、ミイラ化したのでしょう。
剥製工房の社員旅行。釣りに行っているはずなのに、気がついたらつい、動物の痕跡を探してしまいます。職業病です。
フリーモントキャニオン
寄り道しながら北上すること約3 時間。目的地のフリーモントキャニオンに到着しました。
フリーモントキャニオンはその名の通り、渓谷美で有名な場所です。
あの川の上を、カヤックで浮かんでみたい。パドルが水を掻く時のポチャンという音を谷に響かせながら川を下ることができたら、どれだけ贅沢だろう。そんなことをつい想像してしまう絶景。でも実は、かつて探検家の隊が全滅した歴史のある場所でもあります。
川の両脇に広がる垂直の崖は、ロッククライミングの名所としても知られています。岩に打ち込まれたロッククライミング用のボルトの他に、割れ目に器具を差し込んでロープをかけながら登っていくのです。
私も、いつか登ってみたい。
だけど、この旅はあくまで、社員旅行。私たちは釣りとキャンプをしに来たのです。目的を思い出し、後ろ髪を引かれながらもキャンプ地へ移動します。
キャンプ地紹介
私たちが選んだキャンプ場は、湖のほとりのキャンプ場。
実は、ワイオミング州には高い木がほとんど生えていません。
キャンプ場へ行く道も、この通り、ほとんど土と岩がむき出しです。
理由は、主に3つ。寒くて、雨が少なくて、風が強いから。
ワイオミング州は全米でもとにかく風が強いことで有名で、年がら年中強い風が吹いています。
みんなが風防になる茂みの裏にテントを建てる中、私はロケーション重視で、湖の真ん前にテントを建てることに決めました。
住宅価格の高騰が続いているアメリカですが、不動産価値を決める3つの要素は、
「ロケーション、ロケーション、ロケーション」
と言われています。
キャンパーにとってテントは、家と同じ。だから私は、妥協せず、景色が一番良い岩棚の上にテントと建てることにしました。
岩の割れ目にペグを挟んだり、張り紐をピンと伸ばして、綺麗な三角形のシルエットに仕上がりました。
テントが完成したら、今度はみんなで焚き火の火起こしです。
アメリカのキャンプ場には、ドラム缶を輪切りにしたみたいな焚き火台があります。
無事に火がついたところで、焚き火を囲んでウイスキーを飲み始めました。
同僚が持ってきたウイスキー用の水筒、スキットルはなんと750mlの大容量。スキットルは本来、懐に入れてウイスキーを携帯するためのものですが、こんなに大きいとポケットに入りません。
シェラカップに注いで飲みました。ちなみにのシェラカップ、実は2年前の雑誌の付録です。しかし付録と侮るなかれ。今でも現役で使っています。
社長、開始5分でニジマスを釣る
忘れてはいけない今回のキャンプの目的は、フライフィッシングでニジマスを釣ること。
火が暮れる前に、社長が釣り初心者の私たちにレクチャーするべく釣りを始めました。
「フライフィッシングは、こうやって竿をしならせて遠くに糸を飛ばしてね。フライをぷかーっと川に浮かべて、川の流れに任せて泳がせて。それでまた、遠くに投げる。辛抱強く、続けるんだ」
そんな社長の言葉に、「これは釣れるまで時間がかかるな」と思い、川遊びを始める社員たち。
しかし社長、なんと開始5分でニジマスが釣れてしまいました。
アメリカでニジマスというと、身はピンクか茶色と表現されることが多いのですが、ここのニジマスの身は白い色です。
ワイルドにアルミホイルで包み、焚き火で丸焼きにしました。
ワイオミングのニジマスの味は、脂っ気がなくて、例えるなら鶏肉のササミみたいな味。同じアメリカの川魚なら経験上、ナマズの方が脂が乗っていて、肉質もウナギのように滑らかで美味しかった記憶があります。
アメリカ中西部ではフライフィッシングというとキャッチアンドリリースが基本ですが、もしかしたらそれは魚の味のせいなのかもしれません。
汚な美味い店「ラットホール」
日が暮れかけてきた頃、今度はキャンプ場近くで評判のダイナーへ行くことに。
ワイオミング州で長く続く老舗で、汚な美味い店(別名ラットホール)と呼ばれています。
天井を埋め尽くしているのは、寄せ書きが書かれた1ドル札。
アメリカのほとんどの州では、店内の喫煙が法律で禁止されています。バーや居酒屋も例外ではありません。しかし、ワイオミング州は店内の喫煙の可否を各飲食店が自由に決めることを認めています。
このダイナーは、全米でもかなり珍しい店内全面喫煙のダイナーです。
店内全面喫煙の汚い店なんて、今の時代、大都市ではきっと生き残れないでしょう。だけど、この店は、平日でも大賑わい。保守的な田舎のワイオミングに住むおじさんたちのニーズを掴んだ営業スタイルなのです。
私が食べたのは、ポークステー。
他にもピクルスに衣をつけたフライや、アメリカ中西部の名物料理ロッキーマウンテンオイスターなどをつまみながら、お酒が進みます。
ちなみにオイスターとは言っても、ここはアメリカ中西部の海なし州。ロッキーマウンテンオイスターとは牛の睾丸の唐揚げのことです。
オイスターは牡蠣のみにあらず。また一つ、新しい英語を学びました。
夏用テントで迎える積雪
テントで寝袋に包まった翌朝、起きるとあたり一面がうっすらと雪に覆われています。
季節は4月。日本は桜が散る頃ですが、ワイオミングはまだまだ雪が降ります。
私のテントは、夏用のテントです。幸い、寝袋や衣類などは昔、標高6962mの寒いアコンカグア登山で使用したものと同じなので、私自身はかなり暖かく眠ることができました。
しかし、ひとたび寝袋を出ると、1ガロン(約4リットル)のボトルの水も全て凍る寒さです。ガス缶も冷え切ってしまいました。ワイオミング州特有の強風も相まって、同僚のキャンプ用コンロでお湯が湧かないトラブルが発生。
しかし、私のプリムスのクッカーで無事、コーヒーのお湯を沸かして、朝食のブリトーも温めることができました。
雪の中のフライフィッシング
こんな雪の中、川に入ってフライフィッシュングをするのは寒すぎるので、岸に立って竿を振りますが、全く釣れません。
仕方がないので、覚悟を決め、股下まで隠れる防水のゲーターを履いて川に入ります。
寒すぎて、気がついたら竿の先が凍ってしまいました。
凍った竿は、川につけて振り氷を溶かし落とします。しかし、川につけた時の水滴がまた凍って…、の繰り返しでキリがありません。
周りがどんどん釣れていく中、私はなかなか釣れません。
鼻水をすすりながら、川の中で耐えること2時間。
なんとか大物が釣れました。
釣りと社員旅行は相性抜群
フライフィッシングはおろか、魚釣りをするのが初めてだった私。しかも、新しく入った職場の人とキャンプをするのは、少し緊張と不安がありました。だけど、人と協力しないと成立しないキャンプの遊びだからこそ、親睦が深まるのでしょう。
寒いのも忘れるくらい釣りに夢中になり、釣りの後は身を寄せ合って焚き火にあたりました。
職場愛とアウトドア愛が深まる釣りバカへの一歩になるかもしれない社員旅行でした。